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【江戸時代の偉人の雑学】10選!徳川家康、徳川光圀、土方歳三、葛飾北斎

【江戸時代の偉人の雑学】10選!徳川家康、徳川光圀、土方歳三葛、葛飾北斎

今回は江戸時代の偉人の雑学10選をお届けします。

有名な偉人達の知られざる一面がわかる内容なので、ぜひ最後までご覧ください。

徳川家康は健康オタク?

徳川家康は健康オタク?

将軍にも関わらず、徳川家康は麦飯と味噌を好んで食べていました。

また、水泳や鷹狩りなど運動もよくしていたという健康オタクです。

庶民と変わらない食生活を送った理由として、自分が粗食をとることで兵士の気持ちが分かり、戦にかかる費用も抑えられるからだ、と語っていたそうです。

麦や味噌は、腸内環境をよくするアルギニン酸が豊富に含まれているためか、家康は75歳という長寿を全うしました。

徳川家斉は江戸時代のビッグダディ?

徳川家斉は江戸時代のビッグダディ?

側室が24人もいたという11代将軍・徳川家斉。

子供はなんと53人もいたといいます。

公務以外の時間は大奥に入り浸ることが多く、そこで働くお手伝いさんの女性にも手を出していたそうです。

しかし、家斉の子供たちの半分近くは、大人になるまでに亡くなっています。

家斉は次々と亡くなっていく子供たちを嘆き、後継者となる子供をたくさん作ったのかもしれませんね。

徳川家茂の命を奪ったのはスイーツ?

徳川家茂の命を奪ったのはスイーツ?

江戸幕府14代将軍・徳川家茂は、21歳の若さでこの世を去るのですが、死因は脚気とされています。

家茂は無類の甘党ですが、甘いものはビタミンの消費を早めてしまいます。

脚気はビタミン不足による病気なので、家茂の脚気は甘いものが原因かもしれませんね。

そして、脚気になった家茂のもとには、お見舞いの品として、ようかんやカステラなどが山のように贈られてきたそうです。

甘いものの食べすぎで脚気になってしまい、さらにお見舞い品の甘いもので病気を悪化させてしまったのでしょう。

徳川慶喜は家臣や国民に嫌われていた?

桂小五郎に「家康の再生見るが如し」と言わせるほどの才人だった15代将軍・徳川慶喜。

その頭の良さゆえ、独りよがりで「家臣が自分より賢くないから」と、独断で政治を行いました。

その強情な性格から「強情公」と陰口を言われたことも。

食生活では、当時あまり食べられていなかった豚を好んで食べていたため、国民からは皮肉をこめて「豚一公」と呼ばれていました。

徳川光圀は若い頃美少年でヤンキーだった?

徳川光圀は若い頃美少年でヤンキーだった?水戸黄門

ドラマ「水戸黄門」では、悪を許さない好々爺なイメージの徳川光圀ですが、若い頃は美少年で、家臣を悩ませるほど素行が悪かったのです。

けんかっ早く、いら立つと人を斬ったり、遊郭通いもしていました。

また、徳川綱吉が発令した生類憐みの令への抵抗として、綱吉に50匹分の犬の毛皮を贈ったというエピソードも。

徳川光圀はグルメだった?

徳川光圀はグルメだった?

徳川光圀は、外国からワインや靴下、インコなどを取り寄せる珍しいもの好きな一面がありました。

特に食に対する好奇心が旺盛で、ラーメン、チーズ、餃子、黒豆、納豆などを日本で初めて食べたのは光圀だと言われています。

ラーメンは自作して、家臣に食べさせていたほど。

また、肉食は禁止されていた時代に牛肉や豚肉を食べるなど、我が道を行く人だったようですね。

土方歳三の仲間思いな一面

土方歳三

新選組の鬼の副長として知られる土方歳三には、実は仲間思いで優しい一面も。

実家は薬屋さんだったため、隊士が病気をした時は自ら薬を調合したり、介抱をしていました。

函館戦争の最中、普段はめったにしないのに、隊士たちに酒を振舞った土方。

「酔って戦えなくなると困るから、一杯だけだぞ」と言い、隊士たちを笑わせたそうです。

土方歳三と市村鉄之助の絆

函館戦争に参戦中、歳三は小姓(身の回りの世話をする家臣)の市村鉄之助に遺髪と写真を渡し、「家族に届けに行ってくれ」と頼みます。

市村は「私は討ち死にする覚悟でやってきました。別の人に頼んでください」と断ります。

歳三は「断るなら、今ここで討ち果たす」と言います。その気迫に圧倒され、市村は歳三の実家に向かうことに。

旅立つとき、市村は車窓に人影を発見。市村は後に「誰かは分からなかったが、おそらく土方先生だったと思う」と語っています。

葛飾北斎はお金にだらしなくて浪費家?

葛飾北斎

雅号(ペンネームのようなもの)を30回以上変え、弟子は200人以上いたという江戸時代の画家・葛飾北斎。

「富嶽三十六景」などを発表し、90歳で亡くなるまで絵一筋の天才でしたが、生活力はあまりありませんでした。

自宅兼仕事部屋が汚くなってくると、掃除もせず引っ越してしまい、総引っ越し回数はなんと93回!

お金にもだらしなく、お給料は借金返済のためにすぐに消えていました。

平賀源内の晩年は殺人犯?

平賀源内

エレキテルや万歩計を発明した平賀源内。

他にも鉱山開発や著書の執筆など多方面で才能を発揮しますが、その運命は51歳の時大きく変わってしまいます。

仕事仲間の棟梁と飲んだ後、懐にしまっておいた修理の計画書がないことに気づいた源内。

酔った勢いで棟梁が計画書を盗んだと勘違いし、棟梁を殺害してしまい、一か月後に破傷風を患い獄中で亡くなるのでした。

おわりに

水戸黄門がラーメンや餃子を食べていたなんて、びっくりですね!

江戸時代

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